5年間を終えて
先程、卒塾生の1人が、
「5周年おめでとうございます~」
と言いに、わざわざ来てくれました。
その子は塾が出来たばかりの2018年7月に、
当時中学3年生のときに入塾しました。
「5年早いですね、中学生だった私はもうすぐはたちです」
という言葉を聞いて、
「塾を作って良かったな」
という気持ちになりました。
2018年1月に
「塾を作らないといけないっぽいなぁ」
という、ふわっとした気持ちで考え始め、
2018年5月2日に角館から54㌔歩きながら、
「塾を作ろう」と決意し、
2018年6月の一カ月間で準備をして、
2018年7月2日に出来たのが、
「学習塾Spiral」です。
ちなみに当時の口座残高は3桁!
(今は5桁はあるぞ!!)
そこから5年間、色々なことがありましたね~
度重なる遅刻を注意したら、
鬼電をしてきて、
「お前には心がない」
「人間味がない」
「そんなんだから個人塾しか出来ないんだ」
という罵詈雑言の嵐をまくしたててきたお母さん
(実際はもっと凄いことを言っていたよ)
おかげで、僕は遅刻の注意が出来なくなりました。
生徒が遅れてきても、ヘラヘラヘラヘラ
学生講師がバイトに遅れてきても、ヘラヘラヘラヘラ
入塾前の面談と入塾後の態度・言動が、
まったく異なったので(もちろん悪い意味で)、
指摘すると、塾に乗り込んできたお母さん
「なぜ医者の私が塾長ごときにそんなことを言われなきゃいけないんだ」
こんなことを言われましたね~
おかげで、僕は入塾前にめちゃくちゃ念を押すようになりました。
そしたらどうなったか?
入塾率が激減!
今年に至っては、5割切るんじゃないかなぁ
いつも銀行の口座残高とにらっめこです・・・
大抵、笑うしかなくなっちゃうので、
僕が負けるんですけど(笑)
思ったことの4割を言ったら、
「そんなにきつく言う必要ありますか」
と言われ、(全部伝えていたらどうなっていたのだろう?)
オブラートに包んで言ったら、
「なんでそんなに嫌味ったらしく言うんですか」
と言われ、(直接言ってやろうか?)
僕の言葉を歌にして届けようか?
なんて思い悩む日々もあったかもしれません。
(いや、なかったかな・・・?)
土足で塾の奥まで上がり込む、広告代理店の営業の方
散々打ち合わせをして、「これで掲載します」
というところまでいって、「やっぱ辞めるわ」
と言って、それ以来連絡がない広告代理店の方
(削った塾の壁はなんとかして欲しかったなぁ)
校門前で未成年者に広告を配る同業者の方々
20人規模で僕についての会議を、
1時間半に渡って行う同業者の方々
塾を作らなかったら、
出くわすことはなかったでしょう。
最初のうちは、
「おかしいなぁ~、こんな世界だったかなぁ~」
と思い悩んでたんですけどね・・・
すぐに気付きました。
おかしいのは、僕なんだな
って。
学生の頃に、感じていた違和感って、
大人になったらなくなると思ってたんだけど、
大人になっても感じるんだなって。
金銭のやり取りがある中で、
遅刻をされてもヘラヘラしてなきゃいけないし、
(一応言っておくと、プライベートの遅刻はまっっっ気にしないし、わりと僕も遅刻する笑)
絶対に合格出来ない状況だったとしても、
それを相手に伝えることは失礼にあたるらしいし、
言葉は、メロディーにのせないといけないし、
塾を汚されたら、僕が掃除をすればいいし、
集客するためには、人様の子供に迷惑をかけても許されるし、
直接相手に言わなければ、いくらでも陰で悪口を言ってもいい
(たとえそのことが相手に伝わるのだとしても)
僕は、そんな世界に塾を作りました。
「あの人って、頭おかしいよね」
という風に思われているし、
言われていることを自覚出来る程度には、
周りのことを見ているし、聞こえています。
(見えなくて、聞こえなかったら楽なのにね)
おかしいから塾を作ったのか
塾を作ったからおかしくなったのか
どちらが先で、どちらが後なのか
どちらが正解で、どちらが不正解なのか
今になっても、わかりません。
唯一わかるのは、
5年前の今日、
僕は塾を作りました。
そして、そのことを後悔したことは、
ただの一度もありません。
開業してから3年以上は、
毎日毎日12時間は働いていました。
楽しくないことはあるし、失敗もするけど、
「あぁ~、ギリギリで生きてるなぁ~」
って、生を実感します。
こうやって、わけわかんないブログ書いて、
10時間ピアノ弾いて、
10時間かけて酒田から自転車で帰ってきて、
旅費を募って、
クラウドファンディングして別館作って。
良いように思わない人もいるし、
それも自覚してるけど、
僕の行動で誰か一人でも、
感情を揺さぶることが出来たなら、
それでいいやって、思います。
そして何より、
毎年毎年、律義に近況報告をするためにご飯に行く卒塾生がいます。
(今年は東京駅で一時間だけ会った)
金沢に行っても、新潟に行っても、北海道に行っても、
全国色々なところに卒塾生がいて、
現地にいったら案内してくれます。
いつも助けてくれる学生講師は、全員が僕の元生徒です。
年にほんの数日、最高の一日が訪れます。
(ちなみに5年目最後の日、昨日がそうでした!)
ちょっとずつ、本当にちょっとずつなんですけど、
嬉しい事や楽しい事が増えてきました。
「ピアノやりたい~」って言ったら、
楽譜くれて協力してくれたり、
「使っていたピアノで良かったら」
って言ってくれて想いを継がせてくれたり。
「お腹空いた・・・」って言ったら、
ご飯食べさせてくれたり、
差し入れしれくれたり。
もらったことも嬉しいんだけど、
気持ちが繋がっていくことが、
何よりも嬉しいのです。
そうやって、
繋がって前に進んでいきたくて、
僕は塾の名前を、
「螺旋」にしました。
僕は能力が高いです。
広い意味では、
天才という括りに入ると思います。
目的地に向かって最短で走ったら、
すぐに辿り着くかもしれません。
でもそのときに後ろに誰もいなくて、
目的地で待ってくれる人がいなかったら、
つまらないじゃん。
そんな世界に僕はいたくない。
「世界を変える」
そんなレベルの天才ではないことは、
自覚しちゃってます。
でも、「こんな世界に合わせて自分を変える」
ことも(今のところは)したくないのです。
じゃあ、どうするかって。
「こんな世界に自分の世界を築きあげる」
しかないかなぁって。
正しい(と思われる)とか、
常識(らしきもの)とか、
僕がどう思われようと、
どうでもいいので。
共感してくれる人を大切にして、
面白がってくれる人をもっと面白くして、
一緒に螺旋を描いてくれる人達と、
ちょっとずつ明るい未来に進めたらいいなぁ
と思っています。
さ、帰ってぐっすり寝て、
6年目も頑張ろ~っと。