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2025 . 04 第4週

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平日 13:00~22:00
土日 10:00~22:00

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~4/6春期講習期間
4/6(日)中3全県模試
4/13(日)休塾日

現在の募集状況

<既卒生>(旧予備校コース)
「精神と時の部屋」2名
<高校3年生>1名募集
<高校2年生>2名募集
<高校1年生>3名募集
<中学3年生>
集団授業参加者のみ募集
<中学1~2年生>募集なし
<小学生>募集なし

大学生に対して思うこと

2022.05.05

 

今年の3月に卒塾生の一人から衝撃的な事実を聞かされて、

「うちの塾と大学生との関わり方」というものを、

今まで以上に考える機会が増えました。

 

今日はそんな、「大学生について」のお話です。

 

*ここで言う「大学生」とは、

・卒塾した大学生

・塾生の兄弟姉妹の大学生

・うちに塾に通っている大学生

を指します。一般論ではないので注意してね。

 

 

昨年度までも大学生との関わりはわりとありました。

 

・バイトの学生講師の子とのやりとり

 

・大学生への授業(なぜか物理が多い)

 

・卒塾した子が挨拶に来てくれたり、ご飯に連れて行ったり

 

特に3つ目はとても嬉しいことで(なんか慕われている気がするし笑)、

毎年3月に「なんとか進級しましたぁ~」と挨拶に来てくれて子や、

毎年5月に「誕生日おめでとう~」とお祝いしてくれる子や、

(なぜか毎年1日ずれたり1歳ずれたりするんだけど笑)

「ご飯食べに連れて行ってください~」と言ってくれる子もいて、

「この仕事をしていて良かったな」と一番思う時間です。

 

今年度は、新しく大学生講師が4名入ってくれたり、

1期生が4年生になって就職活動が本格化して話を聞いたり、

塾に大学生が通うようになったり、

なにかと大学生と接する機会が多くなりました。

そんな中で、元々大学生に対して感じていたことと、

新しく感じたことがあって、

今日はそれを話したいと思います。

 

 

「どういう塾が理想か?」

 

この問いに対する答えは人それぞれ違うと思うけど、

僕の答えは明確で、

「志望校に合格する塾」

それ以上でもそれ以下でもないと思っています。

 

あくまで「志望校に合格する」

(ための可能性を1%でも高める)ために塾があって、

そのために何をしても良いとまでは思わないけど、

出来る限りのことはしようと思っていて、

それが生徒のストレスになることでも、

傷つけることになっても、どんなにつらくても、

申し訳ないけど、必要だと思うことは強いるし、

それは生徒によってはとてつもなくつらいことだと思います。

 

その過程の中で、

「楽しかったな」とか「成長出来たな」とか

ポジティブな感情を持ってもらえたらとても嬉しいけど、

それは生徒それぞれに委ねる部分で、

「こんな風に塾を思ってほしい」

という希望はないです。

 

そもそも僕は塾という存在にあまり肯定的な人間ではないです。

(「じゃあ、なぜ塾を経営しているのだ」という野暮なつっこみはなしで笑)

「なんでこんなことを思うのかな?」

と考えていたのですが、

この間、卒塾生の子達と話しているときに、

 

たくさんの犠牲の上に成り立っているのが塾である

 

というのが理由なんだな、と気付きました。

 

 

 

・市役所で働く人が、頼まれて書類を発行しました

 

・銀行で働く人が、通帳の繰り越しをしました

 

・医療従事者の人が、患者さんの治療をしました

 

・農家の方が、お米を作りました

 

上記の職業の方々が「自分の仕事」をしたときに、

「不幸になる人」が基本的にはいないと思うのです。

 

でも塾で働くということは違います。

 

「合格」という言葉を餌に、

10代という最も輝かしい(かもしれない)時間を奪います。

 

「教育」という言葉を矛に、

生徒に理不尽な要求を突きつけます。

 

「将来」という言葉を盾に、

高額な授業料を保護者様に強います。

 

僕はこれら全てを行っている自覚があります。

 

そして行った結果、

(多くの場合)生徒を志望校に合格させます。

 

でもその合格ですら、

たくさんの不合格者という犠牲の上に、

成り立っているわけです。

 

本当にたくさんのことを犠牲にして塾は成り立っている

 

僕はずっとこのような感情を抱えながら働いてきましたし、

これからも抱えて働くのだろうなと思います。

#立秋はメンヘラ

 

「でも私はとても感謝してます」

この話をしたときに、

卒塾生から言われた言葉です。

(R、Sありがとう!)

 

本当に身に余るお褒めの言葉をいただくこともあって、

誕生日のときにはお祝いのメッセージやプレゼントをもらって、

めちゃくちゃ嬉しいし、

塾をやっていて良かったと思うし、

これからも頑張ろうと思います。

 

でも「塾というのは~」という感覚がぬけないのです。

 

「私が先生からの言葉でどれだけ傷ついていると思うんですか?」

「面接練習の先生が怖くて、なぜ受験するのかを考えさせられました」

 

昨年度の生徒からもらった言葉です。

感謝の言葉以上に心に残っています。

 

一応言っておくと、凹んでもいないし、

反省して改善しようとも思ってないですよ?

結果的に、この子達は合格したので。

「生徒を傷つけている自覚はある」という話です。

#立秋はサイコパス

 

 

「罪の意識」がある。

この表現が一番しっくりきます。

 

僕は塾を経営することで、

勝手に罪の意識を感じていて、

勝手に罪を償いたいのです。

(頭おかしい奴ですね笑)

 

 

「どういう塾が理想か?」

 

僕の考えは「志望校に合格する塾」です。

でもそれが答えになるのは、

大学受験生までです。

 

 

僕は、大学生(さらには社会人になっても)に、

「このような存在だと思って欲しい」

という、希望があります。

 

 

 

それは「逃げ場」です。

 

 

高校生までは多くの制約があって、

色々悩みもあっただろうし、

大変でもあったと思います。

でも多くの人や事柄に守られていたのも事実です。

守られているからこそきつく当たるし、

まだ守られているときに強くなってほしいと思います。

 

 

でも大学生は違います。

特に今年1年生になった子達は、

大学生になったと同時に、

成人としての責任も背負わされます。

人間関係が急に広くなって戸惑う人もいるだろうし、

自由になったがゆえに、

不自由に感じる人もいると思います。

 

 

そういう子達の、

「逃げることが出来る場でありたいな」

と最近強く思っています。

 

「こんなことがあって~」

と悩んでいたら話してもらえれば、

「いや~、俺もわからん~」と一緒に悩むし。

(共感性に乏しく共感することは出来ないかもしれない笑)

 

「将来どうしようかと考えていて~」

と困っているようであれば、

「こういう形が合うんじゃない?」

と僕の拙い経験を話すことが出来るし。

 

勉強みたいに明確な答えは出せないけど、

一緒に悩んで、一緒に考えて、

改善できそうであれば改善案を出して、

どうにもなりそうにならなければ、

美味しいご飯でも食べて現実逃避して。

 

大学生になって変わる部分はあるのかもしれないけど、

(それは決してわるいことではない)

「あぁ~、高校生のときこんな風に考えてました~」

って、塾で頑張っていた自分を思い出してもらって。

それが明日からの活力になれば嬉しいけど、

ならなくても少しでも気分が軽くなったらいいなって。

 

もちろん全員の大学生が上記のように考える必要はなくて、

「いえ~い!大学生活楽しい!!悩みない!」という子には、

おそらくもううちの塾は必要がないかなって思います。

なんか嫌な言い方に聞こえるけど、

そんなことはなくて、

前を向いて前進していく姿を、

もう見えなくても応援してます。

 

多分うちの塾が大学生にとって、

本当の意味で必要になるのは、

「その子がつらいとき・大変なとき」

なのだと思います。

そしてそんなときに連絡をもらえる存在でいたいと思うし、

そういう存在でいると思えることが、

「罪の意識」をほんの少しだけ軽くしてくれます。

 

 

「先生」としての僕の時間やお金や情報は、

今の生徒と保護者様のためのものだと思っていて、

親戚の子から、

「医学科に行きたいけどなんかアドバイスくれ」

と言われたときも、

「いや、お前からお金もらっていないから無理。頑張れ」

とだけ言って、

ドン引きされたことがあるんだけど、

それくらい「時間とお金と情報」を大事にしています。

でもそれは「先生」としての立場です。

 

 

「立秋」としての僕の時間やお金や情報は、

誰のものでもなく僕のもので、

それを提供して一番価値のあるのは、

卒塾生である大学生だと思っています。

キャバクラ嬢のマイちゃんよりもはるかに有意義・・・

 

だから「僕を頼ってね」

って言うのもなんか違うんですよ。

ダサいっていうか・・・。

 

「困ったら言って?困り事をなんとかするくらいは有能だから」

となりますかね。言いたいことは。

 

 

塾を作ったときに決めたことがいくつかあるんですけど、

軽いものでは、「Dr.Stoneを置こう!」とか。

重いものでは、「〇〇年間塾を続ける」とか。

(実は終わりを決めています)

その中に、「卒塾生が困ったら無条件で助ける」

ということがあります。

(今考えるとすごいよね・・・だって塾がまだ出来ていなんだよ?笑)

 

「助ける」というのはどのレベルかというと、

「秋田で働きたいけど仕事がない・・どうしよう・・・」

と言われたら、「正社員で雇うけど?」と返すし、

「起業したいんですけど失敗したらどうしよう・・・」

と言われたら、「骨は拾うしダメだったらうちで雇うけど?」

と返します。ようは、気持ち的な部分だけではなく、

「お金と時間」をあなたにあげますよ。ということです。

 

もちろんこんなにも重い話ではなくても、

「お腹空いた・・・どうしよう・・・」

と言われたら、「ご飯行こうか」と返すし、

「大学の講義わからん・・・どうしよう・・・」

と言われたら、「IQ140ですけど?」と返します。

 

 

多分そうすることで、

僕は精神のバランスを保っているんだと思います。

 

多分そういう風にしたいから、

僕は飄々としていたいんだと思います。

(切羽詰まっている人にはなかなか相談しにくいので)

 

 

高校生のときまでは戦場だった塾が、

大学生になったら憩いの場になる。

僕はそんな風な塾を作っていきたいと思います。

 

 

だから悩んでいる子や困っている子がいたら、

僕の罪滅ぼしに協力してね?いつでもいいので。

 

 

 

僕には理想としている生き方があって、

村上春樹さんの「スプートニクの恋人」

という作品の主人公のした行動です。

 

大切な存在がギリシャで失踪をしたときに、

周りに極力迷惑をかけないように、

その人を探しにギリシャに行く

という描写があります。

 

僕はそれが出来る人間でありたいと、

ずっと思っています。

 

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